大浦天主堂&原城跡などを訪ねる旅  (1泊2日)
                         
              平成30年9月28日(金)(金)~9月29日(土)
                                  参加者 28名
                                  宿泊     長崎市  にっしょうかん 新館 梅松鶴
 


 1日目(9月28日)


島原城

徳川幕府の一国一城制により、松倉重政が1618年から7年3ヶ月かけて築いた。キリシタン史料館や民俗史料館などがある。

 

原城跡
 
 1637年の島原・天草一揆いっきの後、幕府軍は原城を徹底的に壊した。近年の発掘調査によって、本丸入り口の大手門や、その先の広い空間の虎口付近からは大量の人骨が出土した。その人骨の上には、壊した石垣の外側の大きな石や内側のぐり石、さらには粘土質の土などが覆いかぶせられており、その様子はまるで死者を恐れるかのようだったという。石垣までも埋め戻して山とし、海に面して建っていたとされる櫓やぐら台跡も隅石が外されるなど、城としての再生を不可能にした。 世界文化遺産登録決定。

 

土石流被災家屋保存公園

1992年(平成4年)この公園は土石流災害で被害に遭った家屋を後世に伝える為、保存・公開している施設です。
当時、被害に遭った被災家屋11棟を当時の状況のまま保存(1棟は移築)しています。
この公園周辺は約2.8~3mほど土砂物で埋没しましたが、土砂物の流れてくるスピードが緩やかだった為、倒壊はせず土砂物に埋もれました。

 

  2日目(9月29日)

  
 
大浦天主堂
 
1865年(元治2年)の12月に完成した日本最古の教会で国指定重要文化財。外国人居留者用の教会として建てられた。     世界文化遺産登録決定。


 
グラバー園散策を楽しむ

長崎港の大パノラマを見下ろす絶景、南山手の丘に位置する長崎ロマンの地

 
 
出島

鎖国時代の約200年間、出島は日本で唯一ヨーロッパに開かれていた貿易の窓口でした。経済はもちろん、文化・学術の交流拠点として、日本の近代化に大きな役割を果たした。

   
 
如己堂
 
如己堂は、永井隆博士の病室兼書斎です。原爆で無一文となった浦上の人々が博士のために建てたこの建物を博士は“己の如く隣人を愛せよ”という意味から“如己堂(にょこどう)”と名付け2人の子ども達と共に暮らした。

 

平和公園

8月9日の平和記念式典が行われる場所。   世界に向けて平和を発信する公園
長崎に投下された原爆の爆心地につくられた平和公園。平和への願いを込めた祈念像は、長崎が誇るシンボルとなった。銅像が平和を願って伸ばした左手には、様々な鳥たちが
集まり、長崎の自然に囲まれた平和な世の中を喜ぶかのように鳴いている。