講演会   演 題  「 出水兵児修養掟 」 の作者について                               

  

       12月例会  12月7日  15:00   ~ 16:20

 

       講 師  中元 敏郎 氏 ( 当会員 西出水在住 ) 

 

 ☆ 出水兵児修養掟は、当初は山田昌巌(出水郷の第三代地頭)が、西暦1638年60歳                  の時、島原の乱から出水衆を率いて凱陣し、児請(ちごもうし)の次第を定めた際に成文化

したものと考えていた。   



 ☆ 詳しく調べてみると、この文章は西暦1715年に刊行された 「明君家訓(めいくんかくん)」  の中の家臣の道を説く部分を、ほとんどそのまま引用して作られたものと分かった。



 ☆ しかし、今のところ誰がいつ頃、何の目的で作ったものか、はっきりしていない。



 ☆「明君家訓」は、江戸時代の武士道教訓書で朱子学者の室鳩巣(むろ きゅうそう)の著書

である。



 ☆ 出水兵児修養掟は、江戸時代後期に成文化されたという説もあるが、明治時代以前にそれ

の記された古文書が全く発見されていないので、溝口武夫(西暦1853年生)が、山田昌巌翁250年祭(大正6年)の挙行に際し、山田昌巌に仮託して「明君家訓」を引用し、「修養」

という当時の流行語もタイトルにつけて成文化したものであることが推測される。